発散
希死念慮、表面的なことを語っているような自覚、(カウンセラー)先生とはもっと深入りした話がしたい。
(カウンセラー)先生の予約がある日はそれも可能だけど、(主治医)先生の診察のみの日は数分で終わってしまうこと、薬の話を主にするので欲求不満。
人に押されてしまう。圧倒される。自分を客観で見ている間、時間が止まればいいなと思う。
客観で見ることはそこまで難しくない。ここ数年薬を続けた効果が出ているのかもしれない。
戻るが、相手のほうが真人間という確固たる前提のもとなんとか話をしているので、常に自分が低い位置にいる。
発言のタイミングが被ると、とても悪いことをした気になって、そこのとしか考えられなくなる。頭が一杯になるが、なんとか最近は堪えられるようになった。
これも、相手とちゃんと話をしなきゃいけないという縛りのような意識をうっすら感じる。
Twitterでアップロードした絵にいいねをしてもらうことがある。もちろん嬉しい。でも知り合いと、ごくごくまれにその知り合いがいいねをしてくれるくらいだ。
その人たちには感謝してもしきれない。絵に対する評価は最近Discordに貼ってもほぼ来なくなったので、Twitterのfavと稀のRTだけが絵を描いて得られるものだ。
一つのものを拠り所にし過ぎるのは良くないとよく聞くが、数年前唐突にこれからは絵を描いてみようかなと思い立ったあのときどんな気持ちだったのか、どんな環境だったかまるで思い出せない。
もう一つ何かをやってみようという気にならない。やってみようと思ったときにメモをしよう。今日みたいに文を残してもいい。メモメモメモ。
目的の駅は次だ。降り違えないよう気をつけよう。