雑記
3年ほど経って、絵へ向ける感情が薄れている。
絵を描き始めたとき、これだ!と思った。これで生きていけたらどんなに素晴らしいだろう。これで生きていきたい。それは絵で生計を立てることのみを意味せず、生きるために必要なものが絵であってほしいという意味を含んでいた。
心の大穴を絵が塞いだようだった。
まもなく、自分は絵で食べていきたいッス!と軽く浅く連発した。「あなたはできないし、しない」という両親へのアピールでもあり、将来への不安をひとまず側に置くためのポーズでもあった。
2年ほど続いているクリニックでの投薬やカウンセリングなどを通して、両親は理解者になった。特に父親とはよく話すようになった。母親といがみ合うことは全く(本当に、全く)なくなり、平穏な日々が流れている。
親と喧嘩をすることがなくなった。親と自分の関係が改善したことで、目に見える諍いが減ったのが大きい。ただ、その裏には僕と両親、互いの我慢がある。これではいつかまた逆戻りする。
今猛烈に叫ぶ許可がほしい。誰かハンコくれないかな。
曖昧・or・二択
最近は、見える世界を受け入れるしかないと思うようになった。
たとえば、悪と善の境目のような曖昧な部分。そこにズームするのは、おそらくキリがない。これから先も、いろんな角度からの見方をコレクションして並べて「まあ人それぞれだよね」なんて言うだけ、その体質に凝り固まって生きていくんだろうと思っていたし、その不幸を嘯いていた。
ここ半年ほど、生活のいろんな場面で、「曖昧なままにしておくべきか、それとも答えをはっきり決めるべきか」ということを散々考えた。
前者「曖昧」を選ぶと、問いが成立していないことに想い当たる。自分はすでに曖昧にしようという選択を取っている。これでは逆を選んだと同じだ。
曖昧にしたい願望はある。もう少し強調してわかりやすく言うなら、人々の意見を見聞きしつつ、自分は仲介者のふりでポーズをしていたい。
でもそれなら仕方ないだろう。どうもぼくは選はなければいけないようだ。
ここで暴れが発生
暴れが発生したとき痛みを想像して思考を制圧するムーブ、よくやるんですがダーツの矢を太腿に突き刺すイメージを多用しまくってたら脳裏から離れなくなってしまった
— マタいダダ二世 (@hdsnRTs) 2019年11月15日
これを見て自分なりに納得し、試した。
結果は失敗。思考や行動が暴走しているとき、事前に思いついた対処法は浮かばないもので、考えてみれば当然だ(まともな考えがままならないときに思い出せるはずはない)。
その時はそれくらいで流して、数日が経ったとき、急に気づく瞬間があった。
昔から気持ちが落ち込んだとき、仮想の人物を仕立て、その人と喧嘩して負ける想像をする。
もう癖なので、すぐ出てくる。電車の中とかであればすぐ大喧嘩になる。嫌な気持ちのとき、周りに人がいたらその人の顔が張り付いた人にボコボコにされる。
この想像を気持ちがグズグズのときにやると、痛みと恐怖で思考が制圧される。
要は、上のツイートの「太腿に矢」が「通行人と喧嘩して敗北」にすり替わっただけの同じようなことを既に得ていたということだった。
思考のリソースを無理やり他に割くため手っ取り早いのが痛覚と恐怖なのかもしれない。
張り切って来たら突然休講になった
午前中の授業が休講になってしまい、職員室に入れてもらってダラダラしている。突然近くの教室からやけにハキハキした英語が聞こえてきてビビった。どうも英語のリスニングCDぽい。船の酸素漏れじゃなくてよかった。
暇を持て余してスマホのカメラロールを遡っていたら、去年6月ごろの顔が写った写真が出てきた。肌の状態が最悪の時期だったため、顎はクレーター、頬は焼け野原、小鼻は地雷原といった具合だった。
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やっとね~~~!!嬉しいです・・・